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〇●ワンシャカブログ●〇

2009年に旅に出て、2011年にタイで出会った旦那さんと結婚し、そのままBKK生活を送ってます。休みの度に旅行に出てます。 札幌市出身です。

The reason that I have arrived in Thailand④ 離婚?

ネパールに戻ると、いろいろと状況が混乱していた。

 

私が居ない間に彼の村と彼の許婚の村が喧嘩になった。

許婚の親としては、『ウチの娘のドコが気に入らないのだ!!』とのこと。

許婚の話は、結婚の話をされた時に聞いていたが本人同士はその気が無いし、そこまで絶対的なものではないと言っていたので、問題にはならないと思っていた。

私本人が村に滞在していれば、まだ示しは付くが、本当に日本人なんかと結婚するのか、許婚を断るウソではないかと言われたらしい。

 

そして、明らかに自分のせいであるが、私が村に滞在中、ほとんど働けなかった。

嫁は働き者に限るという習慣の中で、私はあまりにも働かなさすぎた。

普通ならA型肝炎であったと言い訳ができるが、村人達に「具合が悪いんです」という言葉は伝わらなかった。ただ毎日下痢をしている貧弱で怠け癖のあるただの外国人に過ぎず、『肝炎』なんて言葉は通じなかった。

何度も具合が悪いと隣村に言った時もクリニックに寄ったりしたが、そんなに長く具合が悪い若者は村にはいない。

わかってもらえなくてもしょうがない。

それでも彼の母は何もしなくても良いと一生懸命庇ってくれた。

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お母さん。『アマ』と呼んでいた。とってもやさしかった。

 

 

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お祝い料理のプーリーを親戚のオバサンが作ってくれた。

フラッシュを使っているのでわかり辛いが、真っ暗なので懐中電灯とオイルランプの中で作る。

 

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アマと弟のガネーシャと、親戚のアムリタ。

 

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サブジー(野菜)の収穫のお手伝い。

 

 

そもそも論だが、結婚を決めた時の心境は、この人のお嫁さんになりたいという気持ちは殆ど無く、「この村に暮らしたい!」と言う気持ちだった。

 

小さな集落でお互いに助け合い、文明から離れたココで子供を生み育てたいという気持ちは強く本物であったと思う。

たまにどうしようもないなと思うところもあったが、この家族が好きだった。

なので、村同士の喧嘩でこの家族が周りの村から責められているということが悲しかった。

そして、日本人がいかにひ弱で、あそこに住む人達がいかにたくましいか、体で思い知った。

自分の考えが甘かった。

いろいろとお騒がせし申し訳ない気持ちだったが、自分が居なくなる事が一番この人達のため、そしてなにより自分では勤まらないと判断し、お別れするということになった。

いろいろと未練ばかりではあったが、素晴らしい経験をさせてもらったとその場を去った。