断食終了。。。
昨年書いた記事が下書きフォルダーに入っていた。
13June16(Mon)より断食してた。
本格的断食はたぶん4回目くらい。
1回目はUSAのアリゾナかコロラドかユタかカリフォルニアあたりじゃないかな。
相変わらず記憶がほとんど薄れている内容だが、
どこかのスーパーで買い物中に出会ったのか、誰かに紹介されたのか、
山奥にある一軒屋に住む日本人夫婦のおうち。
Sweat Lodgeを求めていたら出会った気がする。
『どうせやるなら断食してのスウェットロッジをやろう』と提案してくれた。
スウェットロッジとは、
『全米のインディアン部族に見られるもっとも一般的で、しかも重要な儀式である。この「スウェット・ロッジ」は、薬草の香気を含んだ蒸気によって身を清め、汗をかくことで健康を回復させる「治癒」の意味と、「心と体の浄化を伴う文化的な集まりの場」の二つの意味を持っている。』wiki
だそうだ。
旅の最初の地をアメリカにした理由は飛行機代が千歳⇔LA往復1万5千円であったからだ。この金額はよく覚えている。ビックリしたが、行きたい所だらけで決めかねていたので金額で決めた。
アメリカはそのころよく読んでいたインディアンに会いたいという目的だけであった。
旅に出るまでに、紀伊半島の熊野古道の真ん中でマクロビオティックの手ほどきを受けていたことがあるが、その時に断食に興味を持っていた。
いろいろと覚えていないが、断食中は決して辛くはなかったけど、回復食の概念がなかった為、奥さんが作ったご馳走たちをたらふく食べてしまった。なにせ、奥さんも断食していた為、体に優しそうなものばかりであったがたくさん用意してくれたため、みんなでがっつり食べた覚えがある。
その頃は私も若かったので、断食とSweat Lodgeでやりきった感で、食べた後も何事も無く満ち足りた気分で出発した気がする。
この時は黒い宿便がでたな。
2回目はインドのリシュケシュ。
ネパールからリシュケシュへ移動した。
ヴィパッサナー終了後、そこで出会ったナオコと、リシュケシュでヨガ三昧の日々を送る中で、断食しようと決意。断食中の低血糖を生絞りシュガーケーン(サトウキビ)ジュースで癒しながら1週間。断食中に左わきの下に物凄い膿がたまり、知り合ったドイツ人医師に助けを求めたところ、処置できる道具がないと結局インド人医師のもとへ。
ただ切って搾り出すだけだった。
想像を絶する痛みに何とか耐えたが、この時はいろいろと毒出しをしたな。
3回目はタイで仕事中。
仕事中の方が食べる事を考えずに済むかという考え。
ある意味正解だった。ただ、オススメはしない。
低血糖を防ぐ為に取った方法は、水筒(保温ポット)とブラックソルト(ネパールで大量購入していた物)。
あと黒糖。
このおかげでお腹も減らず、クライミングもし、スッキリだった。
そして今回4回目。
この1年の転職準備期間の間にすっかり弱ってしまい、胃腸にだいぶ負担が掛かっていたと思う。
こんなに気分がアップダウンしたのは人生で初めてだった。
ちょっとしたことで落ち込み、その際の胃の痛みも知った。
それでいて食事にもあまり気を使うことをしなかったため、明らかに胃腸に不快感をお感じていた。
なんとか転職先が落ち着く計画が立ち、気持ち的にも落ち着いてきたので、このタイミングでと一大発起してみるも、いつも暇だったくせにこんな時に限って用事が入る。
1日抜いたあとに気付き2日後の送別会に間に合うよう回復食でこらえ、
翌週はちょっとした面接のため、フラフラではいけないと棄権。
そして今に至る。
今回は気持ち的にやる気まんまんであったが、途中から空腹への耐久力が落ち、大根おろしを食べたり、黒糖食べたりで、お腹が張って苦しい割りには好転反応の出も遅く、ちょっとパッとしなかった。
回復食に力を入れることにしようと、水曜日から仕込んだのが酵素玄米。回復食1日目にはまだ食べれない。
ただ、その酵素玄米をおかゆにして、上澄みを重湯として飲んだ。
そして今日玄米スープを作ろうと準備していたのに、昆布をミキサーで粉砕していたら煙が出てミキサーが壊れてしまった。
いろいろと予定が狂った。
玄米を粉砕してスープを作る予定であったのでとてもくやしい。
酵素玄米用に黒ごま塩もある程度粉砕しようと思っていたのも破綻した。
しょうがないから面倒だと嫌煙していた『命のスープ』とやらを作る事にした。
なんかでたまたま見たレシピ。20分玄米を炒って、昆布と梅干と30分コトコト煮て作るそうだ。
梅干切らしていて本当の味はわからなかったが、なかなかおいしいアリガタイ味がした。
何はともあれ、今の根性ナシの自分にはなかなか向いていないと思われるのでしばらく禁止にしようと思ったので書き留めたんだと思う。。。
3.Feb.17
Pat Metheny Pikasso 42-string guitar.
「42弦のピカソギターって言うんだよ。」
ってワンシャカさんが興奮気味に言った。
「鍵盤と同じ配列で弦が張ってあるんだよ!」
「両端弾いたらオクターブだったんだ!!!」
時々ワンシャカさんホントスゴいんじゃないかっておもう。
「すげえなっ。」
まだ興奮中のある寝る前のこと。
鶏レバーパテをもらう。
ワンシャカさんの同僚、元私の同僚はサムイ島にて一人カフェ経営をしていた。イギリス人と結婚し、事実上ほぼ一人で子育て中。
ホントにたくましい人だと常々思う。本当に尊敬する。
で、ホントにおいしいモノを頂いたので、めずらしく頑張って野菜とソーセージのスープと、ガーリックトーストで夜ご飯。
それにしても、私センス無いな。
クッキーひとつ、なぜこんななんだろう。。。
ワンシャカさんが大豆粉を貰ってきたので試しに焼いてみたけど・・・。
27Jan2017
Bolero
Choreography:Maurice Bejart
Dancer:Jorge Donn
もしかしたら20年ほど前のコト。
札幌にSylvie Guillemが来た。
当時大学生くらいでお金も無く、チケットが2万円越えで買えずに諦めていたが、当日居ても立っても居られず札幌厚生年金会館へ向かう。
当日券で入場を試みるももちろんSold out.
それからも一度でいいから生Guillemが見たいと思い続けた結果、それから5年後くらいに静岡での再演を発見。
当時出稼ぎ中だった愛知県から遂に見に行くことが出来た。
この写真はJorge Donnの方。
Bejartの恋人Donnがこの踊りを踊ったのは私が生まれた年とのこと。
私的青春バレエ漫画SWANでは、主人公真澄へ思いを寄せるルシィがコンテンポラリーには感情が無いと考える真澄へ「真澄は勘違いをしている」と無理やり踊って見せた踊りだ。
とにかく、これはBejartが認めた人しか踊ってはいけない踊りであったが、2016年に著作権が切れたそうだ。
他にも何人か踊っている人もいるが、誰でも踊れる踊りではないと思う。
Guillemも引退した今、誰が踊るのか。
とにかく神様みたいな人たちだったな。
26Jan2017
ずっと頭にあったコトをようやく書いてみる。
本当に大したことではないのだが。
寝る前の一時のことを。
ミーアキャット【movie】
現代社会に生きる人間が立ち入ってはいけないと思われるカラハリ砂漠に生きる動物。
彼らの形は人間の形に似ていた。
耳の位置、肩の形、立ち姿。
その為かとても親近感が沸いた。
そして憧れさえ感じた。
あの広大なカラハリ砂漠の美しい壮観の中で、家族や仲間と只生きるために日々をサバイブする姿。
アリが人間を眺めるように、キリンやサイや見たことの無い動物を見上げ、喰われ無いために闘い、食うために闘う。
でも作者の作ったストーリーに翻弄され過ぎか…。
とにかく、何が幸せかわからないなと考えたヒトトキ。