The reason that I have arrived in Thailand② 結婚?
前回お世話になったネパール人の友達の結婚式の写真を挙げたが、実は私もそのネパール人と結婚した。
ヘンな話で申し訳ない。
山の上の生活があまりにも質素で、電気もガスも水道もない。朝、ヒマラヤからの冷たい湧き水を頭に担いで運び、寒くても暑くてもそれで水浴びをし、水牛の餌となる草を刈り、痩せている土地で小麦ととうもろこしと少しの野菜を育て、毎食を小枝とプラスチックゴミを燃料に火を焚いて賄い、暗くなったら寝る。どんなに小さい子供でも、生まれたばかりの赤ちゃんの世話をする仕事があり、そんな子供達を集落全員で育てる。
それまで、子供を生み育てるという事柄が想像つかなかった為、目の当たりにした光景が衝撃だった。
ネパール人に『結婚する?』って言われ、ココで生活出来るんだと言う思いで、「ハイ」と即答してしまった。
それから数日の間に結婚式が行われる事になった。
ネパールの山奥とはいえ、ココはヒンドゥ教文化。
結婚式はサリーを着用。緊張の連続であった。
真夜中に始まり、集落の長の家に入る。家の中はもちろん真っ暗なのだが、ろうそくの明かりでギュウギュウの人々の中心に長と黒山羊が居る。
何が始まるかと思えば、山羊は長にお経のようなものを呟きながら首を刎ねられた。山羊の叫び声の中で、周りの人達が血を器に大事に受け取る。
そうこうするうちに、長の様子がおかしくなって来た。意味不明の言葉を吐きながら体を震わせている。
そうこうするうちに飛び跳ね始め、何かを叫んでいる。
周りの人達はそれに合わせて何か歌のようなものを歌っていたように思われる。
あまりに衝撃の儀式であったため、あまり記憶に残っていないが、山羊を生贄に長に神様を降ろしお告げを聞くといったところだろう。
ちなみに、どんなお告げであったかは聞かされていない。
明るくなって祠のような場所でプジャという儀式が行われて終了。
なんだか全く良くわからないうちに終わった。
ただ、どんなに山の上だからって、外国人に違いないし、自分がココに居る事をおそらくココにいる人達以外知らない内に何が起こるかわからない。
具体的に書類手続きをしようとしたところ、またの衝撃。
ココらの人々には戸籍が無かった。
そりゃ必要ないかもしれないが、戸籍の無い人と結婚してビザを貰う事も出来ないので、隣村まで戸籍を作りに行った。
その後、大きな町で手続きをする為に一度山を降りなければいけない。
またあの道のりを戻ることになった。
今度はお父さん、お母さん、弟達も一緒だった。
国境近くの親戚の家で1泊する。
親戚の家は国境近くの為平地であった。
広い畑で、収穫の終わり頃。朝方の霧がとても気持ちよかった。
水牛で耕す。
子供達みんなで手伝ったり遊んだり。
おうち。
おうちからの景色。近所の親戚一同で脱穀のお手伝い。
実はインド、ネパール合わせて10ヶ月程滞在していたのだが、ずっと具合が悪かった。
具合が悪いと伝えても、ネパール人に具合が悪いは通じなかった。
おかげで結婚式も記憶が薄い。
でも、コレばっかりはしょうがない、インドに居たんだから。いつか慣れると言い聞かせていた。
とにかくずっと下痢。10ヶ月の内9ヶ月は恐らく下痢。出来ればモノを食べたくない。デリーに居た時はオクラ丼の卵、ご飯抜き(オクラだけ)が一番幸せな食べ物であった。
でも、自分としては、断食をしているのと同じだ、いつか症状は改善すると信じて疑わなかったが、途中から具合が悪いことに麻痺していた。
自分の戸籍謄本的なモノが必要だということになり、急遽帰国が決まる。
1週間ぐらいで戻ると言ったのだが・・・。