The reason that I have arrived in Thailand③ A型肝炎
一時帰国となり、カトマンズからバングラディシュのダッカ、香港経由で札幌へという飛行機に乗ったような気がする。
日本に帰るという事で気が緩んだのか、時間が経つにつれどんどん具合が悪くなった。
そんな中、飛行機は香港で雨だか風だかで離陸が出来ずというハプニング。
もともと具合が悪いに違いなかったが、明らかに熱が出て来て、全く物が食べれない。機内食はもちろん、せっかく航空会社が手配してくれた高級ホテルでのビュッフェも、一口も食べれない。
仕方がないので部屋でひたすら寝て翌日出発となるも、空港のサーモブラフィで『熱がある、病院へ行った方がいい』と言われる。
熱に浮かされながらなんとか「ハイ」と答え、なんとか千歳空港に到着。手荷物は特に預けていないので、一番に空港を出ようとすると、『ちょっとスミマセン』と荷物検査に引っかかる。
『旅行ですか?』と適当な質問をしながら、係りの人はひたすらバックパックを調べている。お土産のお茶の包装を解いてお茶っぱまで調べている。
私としては一刻も早く家に落ち着きたいところを随分時間を取られた。朦朧とした意識の中で、「お土産なのに・・・」と苛立ちつつ終わるのを待った。
何はともあれ、自宅にたどり着いたが、やっぱり動けない。
ので、そのまま病院へ。
病院に着くと、なぜか看護婦さんと医師に囲まれて、『1歩も動かないで』と車椅子が用意される。
そこで初めて気が付いたが、目が黄色くなっていた。肌色も茶ばんでいた。明らかに様子がおかしかった。
どうりでネパール帰りとはいえ、その時の服装は民族衣装の巻きスカートで、顔色が悪く目が黄色いとなれば、あんだけ空港で調べられるのも無理はない。
車椅子に乗せられて、あっちこっちで血を抜かれる。10本は抜かれた。
お医者さんは肝炎であろうと言う判断を下した。
ただ、いろいろな種類のある肝炎の中でも、急激に悪化する劇症肝炎の可能性もあり、その場合は1.2週間で最悪の場合もありえるとも。
「かなりヤバイんだな・・・」と、母ゴメンと思いながらベッドに横になった。
だが、そんな心配とは別に、ベッドで点滴を打たれたとたんにものすごくお腹が減ってきた。
素晴らしきかな、日本の医療。
みるみる明らかに状態が回復。
いわゆる病院食だがあまりにもおいしくて、おかわりを所望する始末。
翌日に『劇症肝炎ではありませんでした。ただのA型肝炎です』との報告を受けた時には、すっかり満ち足りた気持ちでベッドで寝ていた。
ただ、念のためと1週間入院の指示を受け、ベッドの上でひたすらネパール語の勉強なぞしていた。
そんなころ、1週間で戻ると言っていた日本人の嫁候補が戻らないとネパールの村では大騒ぎとなっていたようだ。
こっちから連絡すると何度も言い聞かせてきたが、国際電話で何度も電話が入っていたらしい。
退院し、今しばらく待つよう何とかネパール人をなだめてネパールへ戻ったのはたしか2週間後であった。